インターネットあっちこっち

おじさんが、水族館や動物園に行ったり、そのへんでお酒を飲むブログです

2016年夏、台風の影に怯えつつ青ヶ島に行ってきたの記(その3)~島の最高所「大凸部」とカルデラの内側「池之沢地区」の光景

台風5号の隙を突いて、ここ数年、たびたびネット(あるいははてなブックマーク)で話題になる「青ヶ島」に行ってきた旅行記その3です
hms-ulysses.hatenablog.com
の続きとなっております。

張り切って 「大凸部(おおとんぶ)」登山

青酎を随分といただいて、ぐっすり眠ってさあ、青ヶ島2日目。1日目に行けなかった青ヶ島最高所(最高峰?)、「大凸部(おおとんぶ)」とカルデラの内側に行く計画を立ててました。本当は朝一でご飯いただいてピャッと山登ろうと思っていたんですが



https://www.instagram.com/p/BIyTePpj-PD/
まあ、ご覧のとおりゆるゆるとした出発になりました。
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大凸部登山口。
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ちょっと登って行くと道の脇にトウモロコシ畑と謎の小屋を発見。
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目を凝らしてみるとどうやら鶏舎。こちらで卵をとっているお宅があるようです。
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すっかり草に覆われた貯水槽。向沢浄水場完成後も使われているのかどうかは不明ですがなんかもう廃墟の風情がある。
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大きな鉄塔はNTTの通信局で、おそらく八丈島に電波を飛ばしているっぽい。
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道半ばくらいのところで舗装路が終わり、いかにも山道といった風情になってきます。
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東台所神社の参道との分岐点。参道は苔むした傾斜のきつい石の階段となっており、運動靴でも登るのはなかなか厳しそうでした。ヤブを開かれたちょっと湿気の多い登山道を登ること10分位だったでしょうか……
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大凸部の展望台に到着!!
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昨日の尾山展望公園からとはまたひと味違った眺めです。この日は台風5号がより近づいていたせいで青ヶ島にかかる雲も刻一刻と様相を変え、風に吹かれて涼んでいるうちに
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海は白波が立っていてすぐ雲におおわれ
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カルデラ内の池之沢地区は霧に覆われたエルフの隠れ里みたいになった(もっとも、カルデラ内は農業その他産業地で、「里」である集落はカルデラ外にあります)。
さて、ひんやりとして霧の空気を味わっていたらどこかから何か騒音が聞こえて来たのでぐるぐる戸当りを見回していたところ、
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霧をついてヘリポートに着陸するヘリを発見!!定期便の時間から小一時間は遅れていたところを見ると、八丈島で天候を見計らっていたんでしょうかね。来島者が多いのかはたまた大物でも来るのか、送迎に立っている島民の数がかなり多い。
しかしヘリ、これだけの霧で着陸できるんだから悪天候に強いし、島の人が船よりも断然頼りにするわけですね……。
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そしてほんの5分後の離陸時にはこの晴れ渡りようで、島の天気のなんと変わりやすいこと!
https://www.instagram.com/p/BIyh-dvjOrJ/
晴れてくると湿気の撮れた気持ちのいい風がまた吹くようになって完全に↓という気分です。
かれこれ小一時間台風の影響で佇まいを変える島と周辺を堪能して下山しました。

島の公共施設・商店たち

「その2」で学校と浄水場を紹介しましたが、それ以外の施設たちについて。
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青ヶ島郵便局。ATMは土日も稼働しているので悪天候が続いて島に閉じ込められても宿に泊まる原資はここで引き出せます。なお、このサービスが稼働する前は手持ちの現金が尽きて宿で皿洗いしながら帰りの船を待つ来島者もいたとかいなかったとか。
また、驚きなのがゆうパック東京都本土発と同じ料金で送れることで、家が都内の人だと680円~荷物が送れます。もちろん船/ヘリ便の就航状況によって配達日数がかかってしまうわけですが、ヘリ便の超荷重量荷物料金が230円/kgであることを考えると、青酎何本か買って受け取りがいつでもいい場合など、こっちのほうが断然お得になります。
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現在、青ヶ島唯一の商店である十一屋酒店。酒店という名前ですが生鮮食料品から生活雑貨まで、生活上ちょっと必要そうなものはだいたいそろっていました。あと島の名産品を扱っているのもここだけなので必然的におみやげもここで買うことになります。精肉が全部冷凍で売られていたのが離島を感じさせました。僕は3日ともここでアイス買って向かいのベンチで涼んでいました。こちらで飼っているのか、いつも数匹ネコがうろちょろしてて、僕を見ると「知らん人だなー」って感じでどっか行っちゃうの。
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十一屋酒店の斜向かいにあるやはり島唯一のガソリンスタンド。車両の整備工場も兼ねていて、レンタカー屋さんも兼業。僕はてくてく歩くのが好きなのでレンタカーは利用しなかったのですが、青ヶ島は島全体的に坂道の傾斜がきついというのもあり、2人以上のグループで来た場合はレンタカー使うのが賢明だと思いました。ところで左の建物、週1でたこ焼き屋の営業があるって書いてあって……!?人口比当たりのたこ焼き屋件数すごい多い島かもしれない。
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島の体育館と運動場。牛祭りはこちらで開催されるとのこと。
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「信号」というものの存在を子どもたちにしらしめるため学校に近接して立っている島唯一の信号。信号が必要なほどの交通量は……まあ、なさそうでした。
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駐在所。こんな島だと事件事故も殆ど無いんだろうなーとチラと思ったのですが、海路・空路で出入りする島外者の把握はやらないといけないだろうし、災害があれば偵察と救援の手配を(手助けはあるにせよ)一人でやらないといけないわけで、結構大変な配置かもしれないと思いなおしました。駐在さんにちょっとお話し聞いてみたかった。

神子の浦展望広場と名主屋敷跡

上記集落の南の端にあるのが神子の浦展望広場で、集落近くにしては珍しく波打ち際まで見下ろせます。


https://www.instagram.com/p/BIyowoXjtWI/
寄せては返す波がひたすら砕け続けており、迂闊に船を寄せると良くて座礁、悪いと船ごと乗員が砕かれそうです。この晩、お酒を飲みながら聞いたところによりますと、この展望台から波打ち際まで15分で駆け下れる道があって50年がところ前には島の子どもたちはここで泳いでいたそうなんですが、どう考えてもひどい事故が頻発しそう*1。ちなみいまはその道も崩落し、展望広場より下に足を運ぶことはできません。
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休戸橋(やすんどばし)。駐在所からさらに東へ数分歩いたところにあります。昔はこの右手の山沿いに旧道があったようですが、この橋が新たに架けられたということは土砂崩れなんかが度々あったんでしょうね。
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さらに東にちょっと歩いて、「名主屋敷跡」の看板から階段を降りて行くと、すぐにNHKの「ダーウィンが来た」なんかで謎の動物を追うときに出てきそうな藪の中の小径にたどり着きます。
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小路を降りきったところでふと何かの気配を感じて脇を見てみると、隣接する農家のウシたちが不審そうにこっちを見ていました。名所に続く道とはいえあんまり人通りがないんだろうな。
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名主屋敷跡に続く立派な玉石垣。玉石垣は八丈島でも同じようなものが残存していて、海の波で侵食された医師を使っている模様。なお道に生えている堂々たる植物は「オオタニワタリ」と言って暖かい地方に生えるシダの一種で、葉の根元に枯れ葉が溜まっているのはこれを養分として使用するためで、自然と葉が溜まりやすい形状になっているそうです。八丈島にも生息しているもののだいぶ数が減っていると後日八丈島で泊まった民宿の本棚の本に書いてありました。
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もうだいぶ自然に戻りつつある名主屋敷跡。
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この石組みが屋敷の外周跡なのかな?水たまりこそないものの、足元の土はだいぶぬかるんでいて往時の居住環境が偲ばれました。
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宿に昼ごはんいただきに戻る途中、積乱雲が海に雨降らせているのを見かけて、これはいい景色だなーって見惚れていたところ、「大丈夫です?もうごはんできてますよ」と携帯に電話が来まして慌てて足を早めました。

異郷感あふれるカルデラの内側「池之沢地区」の地熱釜、暑すぎるサウナ、そして内カルデラ周遊路

昼食の後、集落の行事*2が一段落して空き時間ができた宿のご主人に軽トラに乗せてもらい、朝、大凸部から覗き込んでいたカルデラの内側「池之沢地区」に送ってもらいました。
池之沢地区への道筋は、集落のある岡部地区からだと、楽観的に見積もってもアップダウンを乗り越えて1時間以上といった行程だったので、半日くらいレンタカー借りようかなと思っていたのですが、そんな話を前の晩に酒を飲み飲みしたところ、ご主人に「午後にはいっぺん身体空くから送っていくよ」と言っていただいた次第。
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車に揺られること10分ぐらいだったかな、途中キャンプ場の前など通りつつ、島の真ん中へ。しかし、キャンプ場にテント貼ってた人たち、あの後の風雨どうやり過ごしたんだろう……。

白い建物が地熱(火山蒸気)を利用したふれあいサウナ、茶色い建物が同じく地熱を利用した島特産の「ひんぎゃの塩」*3製塩場、右手前のコンクリートの構造物が、同じく地熱を利用した調理器具「地熱釜」。
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地熱釜のアップ。足元のレバーをひねって、ひんぎゃをいわばON/OFFする仕組みになっています。今でこそこのように、観光客向けの施設や福祉的なサウナで利用されていますが、かつて「ひんぎゃ」は日々の煮炊きや暖房に利用されていたとのこと。
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蓋を開けて宿で分けていただいたタマゴを投入。お芋でも干物でもおこわでも何でも蒸かせるそうなんですが、いかんせんお昼を宿で頂いていたのでタマゴだけ。ひんぎゃ操作レバー(?)を「開」の位置にして熱気が出てきたことを確認し、蓋を閉めます。ひんぎゃ、匂いなどはほとんど感じず、この釜の中も硫黄臭さなどは感じませんでした。


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景色を見たり、Kindleに入れてきた山岳遭難ルポ*4を読んだりしつつ待つこと20分、
ヤマケイ文庫 ドキュメント 気象遭難

ヤマケイ文庫 ドキュメント 気象遭難


https://www.instagram.com/p/BIy7VFHjntM/
余裕な顔してインスタにあげてますが、茹で上がり後の冷やす用の水持っていなかったためタマゴめちゃくちゃ熱かったです。でも美味しかった!(なお、こんなことしてる途中に昨日お世話になった例のご夫婦の乗ったレンタカーが通りかかりまして、「歩いてこられたんですか!?集落戻るなら乗って行きません?」ってありがたくも声をかけていただきました。「いや、あとで宿の人に迎えに来てもらうことになってるんです」と説明しつつ、陳謝陳謝。旅は道連れを体現するように度々お声がけいただき、感謝感謝でした。)

このあと「ふれあいサウナ」で一風呂浴びたのですけれども(お風呂なので写真なし)、中はきれいに整備されていてちょっとした旅館の大浴場といった雰囲気。受付で料金を払うとサウナで使う下敷き用のマットを渡されます。脱衣所のロッカーで服を脱いで、と、いったところで気がつくわけですが、すでに熱い、もう脱衣所から床が熱い。こ、これは……と思いながら浴室に入ると湯船とシャワーがある普通のレイアウトなんですが、すっかり熱気がこもっています。一番奥のサウナに入ってみると、こちらはミストサウナとしてちょうどいいかなという熱と湿気。マットを敷いて汗が吹き出すのを待つことしばし、いい汗をかいたところで浴室に出ます。ただ、ここで問題が……。先ほどから書いているようにサウナで利用されている火山蒸気はどうもサウナ室内だけじゃなく、浴室や脱衣所にも影響を及ぼしているようで、シャワーのカランの温度調節を最低温にしても程よい温かさのお湯が出てくる、水風呂として設置されているっぽい湯船に手を突っ込んでみてもこちらも程良い温かさ*5と、身体を冷やすアイティムが一切機能してないんですね。やむをえず、もう一度さっくりサウナに入り、のぼせない程度に堪能した後、唯一冷房が効いて涼しい脱衣所の脇の休憩スペースで体を冷やしておりました。ここ、涼しい時期だったら最高のサウナっぽいんだけど、夏はいささか手ごわかった。

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サウナから上がり、シャツを着替えて内カルデラの「丸山」遊歩道へ。
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木立の間から覗く外カルデラの北方面の風景。山肌真ん中の小さな黒い点が集落へと続く「平成流し坂トンネル」。これの開通以前は左側のつづら折りになっている「流し坂」が交通路だった由。
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こちらは外カルデラの南東部、金太ヶ浦付近でちらりと太平洋が姿を見せています。画面左手の方に農業用水の取水施設があるらしいのですが、まるで原生林のように人の手が入っていない光景に見えてしまいます。展望公園や大凸部から見下ろした時も感じましたが、外カルデラは海や風雨から内カルデラを守るように広がっていて、そりゃ近代以前でもここに結構な人が住み着くよなあというのが直感的に分かります。まして噴火以前には内カルデラが水を湛え、天然の貯水池となっていたというからなおさらです。
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遊歩道、道の狭いところでこんな感じでした。至る所にオオタニワタリがまさに谷を渡るように生えていました。
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真南側。鬱蒼と生い茂る樹々はまるで古典的なSFか冒険小説の舞台のようです。
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遊歩道周回を終えてさっきゆで卵を食べていた東屋に戻ろうと歩いていたら、何やらかすかシューシューという音が聞こえます。
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写真にはうまく撮れませんでしたが、上掲の写真の真ん中、この写真の黒い穴のところから湯気を上げて火山蒸気が吹き出ていました。内カルデラの「丸山」が生きている火山であることを、周遊道を降りてからむしろ実感。
なお海上保安庁の観測*6によれば、島の周囲では度々仮面変色が観測されてもいるそうです。

この後で宿でお酒をいただきながらご主人と話をしていた際、「池之沢地区は活火山でね、気象庁もいっぱいセンサーなんか設置して観測してるんだよね。島民も年に一回、噴火を想定して全島避難の訓練をやってるんだよ」と教えてもらいました。「江戸時代はみんな住む土地が決まっていて八丈島でも苦労したから50年経っても『還住』を果たせたわけだけれども、いまは東京に家族や親戚が住んでいる人も多いからね。もし噴火で全島避難となった時にどれだけの人がその後戻ってくるのか、難しいところだろうねえ」という言葉が続き、火山の離島に住むことの難しさにハッと胸を突かれました。日本の少なくない地域で直面せざるを得ない問題である、恵みでもあり災いでもある火山……。

2016年夏、台風の影に怯えつつ青ヶ島に行ってきたの記(その4)

に続きます!

*1:ここで泳いでいたという島の方は特に危ないことはなかったとおっしゃっていました

*2:お盆の前に無縁になってしまった墓地の周りを共同で草刈りしていたのだそうです

*3:「ひんぎゃ」とは火の際(ヒノキワ)が転訛した火山性蒸気を指す島の言葉です

*4:台風をついての旅行だったのでなんか戒めに見たいな気分になって買った

*5:事実上造成温泉になってるんじゃないかなこれ

*6:海域火山DB 青ヶ島

「東京のミニパナマ運河」を自称する扇橋閘門の一般公開を見てきた

見てきました。去年*1も見たんですが楽しかったので今年はうちに泊まりに来ていた友人たちを引き連れて行ってきました。
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そもそも墨田区のほとんどと江東区の北側2/3程を占める江東デルタ地帯は、戦前~高度経済成長期の地下水と天然ガスの組み上げによってすっかり地盤が沈下してしまい、東京湾の干潮時の海面よりもさらに地面が低いという地域が広がっています。このため、西は隅田川沿岸、東は荒川沿岸にしっかりとした堤防を作って多雨・台風時の洪水を防ぎ、あわせて小名木川の水位を調整しつつ舟運の便を図るための施設のひとつが扇橋閘門なのです。
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控えめにのぼりが立つ扇橋関門入り口。僕らがここに差し掛かると、テントの下から
「もうすぐ船が通りますよー」
という広報の声が。
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慌てて閘室*2に駆け寄ってみると、隅田川側の「前扉」が開けられており、そこにアプローチする遊覧船の姿が見られます。
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荒川方面の水路を締め切る「後扉」。その向こうの小名木川の水位が遥かに低くなっていることが分かるだろうか。常に水門の「隅田川側」の水位が高く、「小名木川側」の水位が低いように調整されています。
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進入してきた船が閘室のどこかにもやいを取ると
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後扉の外側に閘室の水がどんどん排水されていき
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水位がぐんぐんと下り、
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やがて後扉が開くと船が小名木川の方に入っていきます。
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扇橋閘門の非常用発電機と管制室(2階)。
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管制室の横の通路で隅田川側を眺めていると、すぐに先ほど向こうに行った遊覧船が戻ってくる旨の通知が。
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船が入ると後扉が閉じて……
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閘室にどんどん水が流れ込んできて水位を上げます。
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やがて水位が一緒になると観光船は隅田川方面に向けて航行していきました。
ちなみに閘門をくぐるとき船の乗客が傘を差しているのは、閘門が上がるとき真水の洗浄シャワーがゲートに吹きつけられそのしずくが垂れてくるからで、川の水はほとんど垂れてこないそうです。
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管制室。もともとはそれぞれの水門の上で管制していたものの、効率化のために一箇所にまとめられたとのこと。
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小名木川の生き物として展示されていたハゼやチチブたち。
閘門以東の小名木川横十間川北十間川、旧中川はひとつの水系として水位調整されていて、水質維持のため扇橋閘門と北十間川桶門から隅田川の水を導水、木下川排水機場から荒川に向けて排水する水の流れがあり、通常時、水系内の水は3日かけて入れ替わっていくとのこと。道理で春先から多くの人が釣り糸を垂れていても魚影が消えないわけだ。

パナマ運河に比べるとあまりにささやかな施設ではありますが、東京東部を洪水から守り、河川交通を維持する大事な施設である扇橋閘門。じつはここ、この秋から耐震改修工事に入るため2年強に渡って見学だけじゃなく通航もできなくなってしまうとのこと。*3
今年の一般公開は残すところ20日(土曜)、21日(日曜)、27日(土曜)、28日(日曜)の4日間のみ。興味がある方は今のうちに行っておくのが良さそうです。
www.metro.tokyo.jp

*1:2015年

*2:関門と関門の間の水路

*3:その間、船舶は荒川ロックゲートから出入りすることになる

2016年夏、台風の影に怯えつつ青ヶ島に行ってきたの記(その2)~青ヶ島上陸-一晩目まで

台風5号の隙を突いて、ここ数年、たびたびネット(あるいははてなブックマーク)で話題になる「青ヶ島」に行ってきた旅行記その2です
hms-ulysses.hatenablog.com
の続きとなっております。
↑にて青ヶ島三宝港に到着後、迎えに来ていただいた宿のご主人の軽ワゴンで宿泊先に向かいます。カメラバック胸に抱えて緊張していた*1ので道中写真撮ってないのですが、三宝港から外輪山を貫いて内カルデラに至る青宝トンネルの狭さ、内カルデラに茂る亜熱帯の植物の雰囲気、そして集落に出るために再び外輪山を貫く平成流し坂トンネル前後の胸を衝くような坂など、そのエキゾチックな情緒に圧倒されていました。
なお、青ヶ島を「インターネットの通じない秘島」みたいに書いているサイトを見かけたんですが、NTT DocomoだとLTEこそ通じていないものの、島の各所で3Gは問題なく通信ができていたことを書き添えておきます。
僕が今回お世話になったのは「民宿杉の沢」さん。居酒屋も営業されている宿で、居酒屋の方に通されて「昼ごはんいります?」って聞かれました。八丈島ではギリギリの乗り継ぎで何掛かっている余裕もなかった僕としては渡りに船、「お願いします!!」と元気よく答えて冷やし中華とおにぎりのお昼ごはんを頂きました。
「部屋は『新館』の方だからねー」と鍵を渡されて徒歩で数分(車だと数十秒)の建物に連れて行ってもらい、割り当てられた部屋に着くと、そこには清潔で気持ちのいい布団の用意があって、しっかりと冷房も効いており……



完全に、ごろごろしながらスマホでインターネットをやるという、自宅でのけだるい土曜の午後と同じのんびりさに身を委ねてしまいそうになりました。気力を奮い立たせて、お昼ごはんの時いただいた手描きの地図を元に
と、まずは島内随一の眺望という尾山展望公園をめざして部屋を出ます。
部屋を出てすぐに気がついたんですが、青ヶ島、上り坂全体がすべて急で、すぐに汗だく、息も切れてしまいます。これ、単純に僕のウエイトが重いからだけじゃなくて確実に地形の制約が道に反映されています。
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集落にほど近いところの携帯の基地局と、さらに山の上に見える別の携帯の基地局。山の斜面を覆う人工的な緑は、雨水を利用するために雨が地面に染み込まないようにする撥水性の塗装です。
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「簡易水道取水場」の銘板と、年金の還元施設であることを示す看板。舗装された斜面と、1万トンの水を貯める貯水槽とその付帯施設を合わせて向沢浄水場を構成している模様です。ちなみに、後に聞いたところによると、この浄水場が完成する前は5000トンの貯水槽を擁する水道施設があったそうなのですが、たびたび水不足に陥ったとのこと。
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そしてまた細い舗装路の急坂をえっちらおっちらと登ること、総計で20分ぐらいだったかな、きれいに整備された尾根筋の尾山展望公園にたどり着くと
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ほら!!島と海、もうただただそれだけの世界!!
もうねこれだけでね、この島来たかいがあったなーってすごい気分良くなってしまって、いい風も吹いていたので何をするでもなく、ぐるぐると身体を回しながらこの光景を見ておりました。
と、そこに、僕の視界をちょろちょろする謎の影が?
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???
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イタチだ―!!!!
こんな火山島に元からいた生き物とも思えず、後で聞いてみると、ある時期ネズミ駆除を目的として移入された個体群がそのまま居着いてしまったとのこと。固有の生態系に高い圧加えてないといいのだけれども……。
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あと、展望公園でのんびりしていたら、警視庁航空隊のヘリが島を2巡くらいして北の方に帰っていくのが見えました。駐在所スタッフだけじゃなくて、ヘリでパトロールとなると、まあ確かにこの島管轄できるの警視庁くらいだよなーと警視庁の規模に関する驚嘆を新たにしたりした。
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展望公園からは尾根線にそってこのように道が伸びていたので、この先にあるはずの島の最高地点である「大凸部(おおとんぶ)」に抜けていけないかなーと思って行ってみたんですが東台所神社までで行き止まり。
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途中の道から展望公園を振り返ってパチリ。
結構な時間をこれらの眺望を独り占め*2すると、集落に向かって降りていくことにしました。
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途中にあった「還住」像。「還住」とは、青ヶ島の内カルデラが江戸時代の天明5年(1785年)に火山活動を活発化させ、島民が八丈島への避難を余儀なくされた後、文政7年(1824年)に帰還して島を復興させた一連の史実を指します。島にとっては祖先の苦難の記憶で、「あおがしま丸」の先代の船が「還住丸」と名付けられているなど、深い意味合いを持つ出来事です。
詳細は
還住 - Wikipedia
など参考にしてください。
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青ヶ島小中学校。真ん中の太平洋にまっすぐ向いた渡り廊下が印象的で、青ヶ島を旅した人のブログでは必ずと言っていいほど言及されるポイントですね。青ヶ島小中学校は全校生徒20人程度のところ、中学校が他の学校と同じように教科別に担当教師がつくため、総計で20人強(+教頭+校長)という非常に手厚い態勢になっているそうです。ただ、地元出身の先生はいなくて、みなさん都内の別の学区から赴任されているということ、先生の態勢が手厚いから成績が良いかというと必ずしもそうではないこと、またここの中学を出るとさらに先の進学や就職を考えて(隣の八丈島の高校ではなく)、東京本土の高校に進学すること生徒が多いことなどを、のちのち地元の方とお酒を飲みながら教えていただきました。
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学校の海側すぐにあった佐々木卯之助の碑。↓こんなやり取りがあったのできょろきょろ探していました。

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工事現場で見かけた地層。火山活動のせいで褶曲している、という理解でいいのかな、これ。
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さらに集落を降りて行く途中で見かけた貯水槽。今でも使われているのか、向沢浄水場ができてからは使われていないのか、そのへんは不明です。また五洋建設の大きな出張所もあり、あ、マリコンが活躍する立地!と納得することしきり。そうこうしてるうちにたどり着いたのが
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「ジョウマン」と呼ばれる島の北端の草原地。
本当に完璧な、まるで夏そのものいった風情。写真で見ると海までほど近いように見えるんですが、目に入る端でもこれで実は海抜200mくらいあって、海と隔絶された島だなーというのがわかります。かつてはウシの放牧場として広く利用されていたそうですが、近年はウシの数もすっかり減ってしまったようで、草原というよりはササが卓越した笹薮となっています。

ちなみに、このジョウマンと集落を結ぶ道というのも急坂続きで、ホント足の裏と腰に来ました。

島の高所と低所を制覇して満足感とともにふらふらと宿の近くまで帰ってきた僕に声をかける人があり、「!?」と思って振り返ったると、「あおがしま丸」で一緒に上陸したご夫婦でした。なんでもこの日からしばらく「あおがしま丸」が寄港できない状況になりそうなため、「牛祭り」*3に合わせて就航するヘリのチャーター便の戻りに便乗できるようになっていると役場が広報しているとのこと。大変な感謝の気持ちとともに教えていただいた役場の番号に電話し2日後午後のヘリの席を予約します。「あおがしま丸」に比べると8000円くらい高いんですけれども、あてどなく閉じ込められること考えると安いものです。ほんと、とりあえず島まで来てみるとどうにかなるもんだなあ。

宿に返ってシャワーを浴び*4
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アオゼやカンパチの刺し身に舌鼓を打ちつつパッションフルーツサワーと青酎をいただいていたら、たちまちのうちに上機嫌になり軽く夜の散歩を済ませて布団にくるまると島一日目の夜は更けていきました……。

hms-ulysses.hatenablog.com
に続きます。

*1:カメラ持って旅する人間として何だこのザマという感じではあります……

*2:夏の暑さの盛りのせいか誰も登って来なかったですね

*3:8/11に開催される島最大の祭り。島外在住の島出身者も多く帰島する

*4:シャワーも、宿の飲み水もそうなんですが、雨水からゴミをのぞいて塩素を添加した水だからか、島の水道をひねって出てくる水はどれも非常に当たりが柔らかかったです

2016年夏、台風の影に怯えつつ青ヶ島に行ってきたの記(その1)~竹芝桟橋-青ヶ島上陸まで

インターネッター、とりあえず船に乗る

ここ数年、たびたびネット(あるいははてなブックマーク)で話題になる「青ヶ島」。実は私もかねてより行ってみたいと思っておりました。青ヶ島のお酒「青酎」が好きだというのと、4年ほど前に八丈島に行った時に温泉の露天風呂から見えた島影に妙に旅情を誘われたというの、あと、もちろんインターネットに上げられている旅行記の景色が素晴らしい物ばかりだったからというのもあります。

ただ、青ヶ島に上陸するにはまず八丈島まで赴き、そこから就航率50~60%ともいわれる連絡船「あおがしま丸」*1か、定員9名と少なく地元の方も利用するためあっという間に席の予約が埋まるヘリコプター便「東京愛らんどシャトル*2を利用するしかありません。そして一度悪天候に見舞われると、そもそも青ヶ島に辿りつけなかったり、辿り着いたはいいけど戻り便が動かないまま島に何日もいなければならないこともあるそうで、気軽な感じで「次の三連休にでも」とはいかない島なのです。

しかしこの夏、あれこれの結果しばらく時間が取れそうになり、そしてこの期を逃すと次長く時間を作るのが難しいかも、という状況になったため、思い切って行ってみることにしました。当然ヘリの席は埋まっていたため、いきは「あおがしま丸」でのチャレンジです。


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とりあえず竹芝桟橋から東海汽船「橘丸」に乗り込んで八丈島を目指します。
この時台風5号が発生していて小笠原南方海域を移動中でした。台風のうねりは想像以上にかなり遠くまで伝わるため、青ヶ島丸の就航は5分5分といったところ。とりあえず八丈島行ってから考えよう、ダメだったら別の島渡ってもいいし、という出たとこ勝負でいきます。


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特2等和室は2段ベッド式で各寝台ごとに簡易ロッカーと小さい網棚、蛍光灯とコンセント1口がついていてかなり快適に過ごせます。……海が荒れてなければ。
大きな荷物を荷物置場に、小さな荷物を寝台においてうろうろと「橘丸」の中を探検。階段ホール部分に「橘丸」のカラーリングを手がけたイラストレーター、故・柳原良平氏のデザインしたキャラクターたちがいくつも飾られています。
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4甲板と5甲板の遊歩デッキでは、出航前から、備え付けの椅子とテーブルや、床に敷物を敷いて酒盛りをするグループが幾つも見られました。
ちなみに、「橘丸」の船内の自販機、お酒やソフトドリンク、あとスナック類は陸上の自販機と同じ価格で非常に良心的でした。あるいはなんかの補助が入ってんのかな?
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出港からしばらくは船内食堂も開いていましたが、夕ご飯は竹芝の立ち食いそばで済ませていたのでパス。食堂は終業後サロンとして開放されていて、先日ない消灯後の憩いの場になっていました。

この時が1時過ぎ、浦賀水道を出た相模湾を南下中でした。
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5時前に三宅島着。そこそこ人が降りて行きました。
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三宅島から出稿する遊漁船。釣り人はマジ朝早いな……。
https://www.instagram.com/p/BIvd7e0Dnli/
強がってますけど、どうもあとから考えると既にしっかり船酔いになってたんですよね……。この後は胃のだるさを抱えつつ寝台でウトウトといかぐったりしていました。頭上げてるとダメだった。
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八丈島八丈小島がはっきり見えて来ました。
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定刻を30分ほど過ぎて9:15ごろ八丈島は底土港に上陸。「あおがしま丸にお乗り継ぎの方はお急ぎください」のアナウンスが流れる。よっしゃ!あおがしま丸、今日就航するんだ!
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かなりうねりにガブられながら「あおがしま丸」も底土港に入港してきました。
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2隻そろって荷役中。
底土港の待合所で切符を購入する際
https://www.instagram.com/p/BIv0d9QDGzD/
これ、裏を返すとこの日行かないとしばらく行けないということ。明日は明日の風が吹くだろうととりあえず乗船。
船室はカーペット敷の広間になっていて、壁の棚に自由に使える枕と毛布がしまってあります。また冷蔵庫もあって手荷物で生鮮食料品を運ぶことも可能となっていました。2013年12月竣工とまだ出来て3年に満たない船だけあって、船内はどこもきれいなものです。

船室には八丈島民らしい初老の男性と、数名の青年男子グループ、そして僕と同じように観光に行くであろうご夫婦が一組。ちなみにこのご夫婦とは島内でもたびたび行き合っていろいろ教えていただくことになるのですが、この時の僕はそれを知るべくもなく、ただただ、


船室のテレビでは青ヶ島村紹介動画とか流れていたんですけどね……。

いよいよ青ヶ島に上陸!

波に揺られること3時間ちょっと、ひたすら横たわって意識を飛ばしていたのですが、エンジン音が変わり船がゆっくりと方向を変えるのがわかりました。窓から外を見ると
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青ヶ島だ!!
下船案内のアナウンスもありどうやら本当に上陸できそうです。
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青ヶ島を訪れた人の感想としてよく「要塞のよう」と言われる青ヶ島三宝港。火山島のため島の周囲の浅瀬がなく、外洋の波浪が直接打ち込んでくることに加え、港を作るのに適した低地もなく斜面崩落によって港が破壊される危険もあるためコンクリートで厳重に「防護」された島民の方々のライフラインです。すでにうねりが桟橋を乗り越えているが濡れた様子からわかります。
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タラップが渡されているところ。戻り便に乗る人が多く、この写真を撮った時は「あれ、結構観光客多いのかな?」と思ったのですが、後で聞いてみると、お盆休みに入ったため島を離れる島外出身の建築/土木会社の従業員の人達だったとか。僕と逆にここで島を出ておかないと帰れなくなる人たちだったわけですね。
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クレーン車でのコンテナ荷役。まあ常設の設備は置けないよなあ……。

ということでいよいよ青ヶ島島内へ!!

続きは
hms-ulysses.hatenablog.com
をごらんください。

*1:波が荒いと青ヶ島に寄港できなくて欠航になる

*2:こちらも天候によっては欠航することがある

すみだ水族館の夏イベント「お江戸の金魚ワンダーランド」を見てきた

金魚、大好きなんですが、飼うとどういうわけかうまくいかないので見るのに専念するようになりました。
というわけで。
www.sumida-aquarium.com

行ってきました。
僕はすみだ水族館3回めになるですが常設展は
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まあいつもどおり。
ただ、東京大水槽の裏にあった東京湾の生き物コーナーが、なんかネオンがピカピカ光るクラゲ水槽になっており、客を呼ぶ展示と水族館としての誠実なカタログ性って相反しちゃうよなーということを思いました。

あと熱帯魚水槽でクマノミを見つけたちびっ子が
「あ!ニモがいる!!ドリーに出てたやつだ!!!
って叫んでてなんというか盛者必衰を感じた。

「見せる」と「知らせる」をバランスさせた金魚展

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金魚展は5階フロアを外周を使って水槽を配置しており、パネルを使った説明のほか




フナ→ヒブナ→金魚各種の変化を水槽で示したり

金魚の様々な品種を小さい水槽で一覧させたりと、導入展示は非常に丁寧に作られています。またその中で、金魚(というか本来は魚類全般ですね)は非常に大きな量の遺伝子情報を持っており変異しやすくそのため様々な品種が生まれていること、金魚は雑に飼っていると数代でフナに戻ってしまうこと、人間が常に干渉しないと金魚という品種そのものが成り立たないことを説明しています。
あと江戸期は当然いまほど機材がなく、そもそも趣味的な品は高かったので適当な桶・鉢や防火水槽での飼育が当たり前だったという言及もあって「お江戸の金魚」という名乗りにふさわしい内容だなと思いました。
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ということで水槽飼育が普及している今と違って、本来ランチュウは桶だの鉢だの盥だので飼われる品種で上から見て美しかったり可愛かったりするのがポイントなんですよね。
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ショートテールのリュウキンは横から見たほうがかわいいかも。ちなみにこの水槽見てる背中側には磯臭いオットセイのプールがあって、なんか批評性がありました。
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お祭りの横丁イメージ。横から見る展示と上から見える展示が混在しているのが分かるかと思います。
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コメット。現状では唯一アメリカで作出された品種だったはず。
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リュウキンは体色と尾のバリエーションが豊かでかわいい。
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最近あまり見なくなってしまったクロデメキン。
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ワキンも体色が更紗だと艶やか。
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クソでかいオランダシシガシラ。コイキング感あった。
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現代アートぽかった巨大な寄せ植え?盆栽?みたいなのと水槽の組み合わせ。なお左の階段には江戸風鈴が展示されていてあおぐ用のうちわがおいてありました。
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上の巨大なやつの水槽にはかわいいランチュウが泳いでいました。ギャップがいい。

全体的に工夫しつつやり過ぎない展示で、金魚の美しさとか、動きの愛らしさみたいなものがきちんと主題として見える良い企画展だったと思います。金魚というと実は去年の夏、アートアクアリウムも見に行ったのですが、金魚が素材として便利使いされていて、本来の良さを出せてないなあと思っていたのでこういう展示があって、金魚それ自体の魅力が多くの人に伝わったらステキだなとも思いました!