インターネットあっちこっち

おじさんが、水族館や動物園に行ったり、そのへんでお酒を飲むブログです

白梅香る早春の三溪園に行って囲炉裏端に座ったりネコをもんだりしてきた

先日、季節を感じられてかつ動物園でも水族館でもないところにお出かけするかと思って、横浜の三溪園に行ってきました。白梅がちょうどよく咲いていて、早春たけなわ!という感じでした。
f:id:hms_ulysses:20160225125518j:plain



三溪園は横浜の実業家、原富太郎(号:三溪)によって整備された庭園で、敷地内には日本各地から移設された多数の日本建築が配置されています。園内は当初から庭園として開放されていた「外苑」と、原家の私邸として使用され戦後になってから公開された「内苑」に分かれています。外苑の方からふらふらと、歩き始めました。

旧燈明寺本堂

横笛庵
などを見つつ、
「旧矢箆原家住宅」へ。
f:id:hms_ulysses:20160225134140j:plain
f:id:hms_ulysses:20160225141814j:plain
こちらは三溪園開園後の1960年に飛騨から移築された合掌造り民家で、上がって部屋の内部を見ることができます。
f:id:hms_ulysses:20160225135100j:plain
入ってすぐにある部屋「おいえ」。村に関する寄り合いなどにも使われていた部屋とのこと。右手に見える紅白の花のようなものは花餅で、花のない山間部の正月に餅で花をかたどって花の代わりに神に供え、五穀豊穣を祈るもの。
f:id:hms_ulysses:20160225135808j:plain
水屋。外から引いてきた水を水船と言われる船で受けて水槽として使っています。
f:id:hms_ulysses:20160225141329j:plain
2階部分。かつては養蚕なんかの作業場所だったわけですが、現在は当時の衣服や器具の展示場所になってる。
f:id:hms_ulysses:20160225140500j:plain
中の間と奥座敷。畳が敷かれているこれらの部屋は、日常の生活空間ではなく、代官等の身分の高い人が訪れた時のためのスペースだったとのこと。欄間の扇の意匠など、ただの農家ではない装飾性があります。
f:id:hms_ulysses:20160225141238j:plain
囲炉裏。虫を防ぐために人がいる日は毎日焚いているとのことでした。
f:id:hms_ulysses:20160225141007j:plain
すっかり燻された囲炉裏上部。
ここでちょっと面白い話を聞きました。屋根をふく茅を刈る場所は関東ではもうほとんどないそうで、*1新たに茅を手に入れようとすると、それは富士の裾野の自衛隊演習場のものか、「筑波の大学の実験施設の地上に生えているもの」になる可能性が高いのだそうです。後者、どこなんだろと思ってネットで少し検索してみると、どうやら高エネルギー加速器研究機構の敷地でそれっぽい活動が行われてました。*2

と、「旧矢箆原家住宅を見るのにだいぶ時間使ってしまったので園内の飲食店の一つ「待春軒」で腹ごしらえをすることにしました。

原三溪考案の三溪そば。茹でた細いうどんを軽く炒め、具を乗せた汁なし麺。奥の歯付け合せ(?)の昆布茶。

f:id:hms_ulysses:20160225142743j:plain
地面を這うように生えていることから名付けられた「臥龍梅」。


梅の香りに誘われながらふらふらと歩いていきます。職員の方に聞いてみたところ、三溪園は特に意図などなく白梅のほうが多い、とのこと。

「展望台」の表記に誘われて結構急な坂をえいえいっと登っていきますと

このようなゴロゴロっと瓦礫が転がった廃墟が眼に入ります。これは原家のゲストハウスだった「松風閣」が関東大震災で崩れた跡。多くのより古い建造物が今にその姿を伝えているのに、現代建築が朽ちた姿を晒しているのはなんとも不思議な光景です。「松風閣」跡の直ぐ側には展望台があり、
f:id:hms_ulysses:20160225144035j:plain
根岸湾が一望できます。戦前、松風閣健在なりし頃は目前の首都高の下まで海水浴ができるような海が迫っていて、今のような大工業地域になったのは高度経済成長のころ。いま眼下に広がっている本牧市民公園は憩いの場を失う地元の人々への代替措置として造成されたもので、この辺の経緯は野毛とかで飲んでるとたまに隣席になったおじさんなんかが教えてくれたりします。

尾根筋に沿って戻ると「旧燈明寺三重塔」にたどり着きます。京都から移築された創建時代では関東最古の塔です。

こんなカットなんかで三溪園のシンボルとしてよく目につく三重塔ですが、キワキワまで来ると
f:id:hms_ulysses:20160225145955j:plain
f:id:hms_ulysses:20160225150301j:plain
こういう風に現代横浜の遠景まで一緒に見えたりして、ちょっと面白いポイントです
f:id:hms_ulysses:20160225150211j:plain
外苑のほぼ全景。

ちなみに、外苑、日向にネコが豊富


https://www.instagram.com/p/BCMeciMreRu/

f:id:hms_ulysses:20160225151204j:plain
三溪記念館を過ぎこの「御門」の先が内苑になります。原家の私邸だけあって全体的に落ち着いた佇まい。



この建物は紀州徳川家の別邸、「臨春閣」。あの徳川吉宗も子供の頃ここで過ごしたそうです。残念なことに内部には入れないのですが、外からでもその素敵な部屋の様子をうかがうことができます。


素敵な部屋たちだなあ!こういうお部屋で鍋食べながらお酒飲んで「ガハハハ」ってやるオフ会したいものです。まあ絶対貸してくれないのは当然の帰結。

往時、原三溪は私邸に多くの芸術家とその卵たちを招き、自らの美術品のコレクションを見せて創作への支援を行ったということで、若い芸術家には平均的な月給が6円くらいの時代に月60円くらいを支援していた*3とのことです。インターネットで若い人に小言をいうだけで何かをした気になってはいけない……(戒め


原家の持仏堂とされた「天授院」。

茶室の「月華殿」と「金毛窟」。

徳川家光春日局に下賜したという「聴秋閣」。ちょっと見ると、お金のかかったしかし品の良い民家という感じなのだけれど、いやしかしそんな建物がよく残っているなあ。

茶室の「蓮華院」。

「旧天瑞寺寿塔覆堂」。豊臣秀吉が母親・大政所の長寿を祝って建てた寿塔の覆堂で、三溪園の説明によると「秀吉が建てたものと確認できる数少ないもの」とのこと。

内苑を見て回ったあと、三溪記念館でお茶を一服いただいて一休み。


https://www.instagram.com/p/BCNMv03recW/


最後に復元された「鶴翔閣」で催されていた「高円宮妃殿下写真展ー鳥たちの煌きⅡ」をみてさあ帰るかと歩いていたら、池の端のに何人かのお客さんが集まっていました。近寄って池を見てみるとなんとカワセミが!写真展でも三溪園カワセミのパネルが展示されていましてまさに奇縁という感じです。
f:id:hms_ulysses:20160225161849j:plain

飛んでいるところとか

見事捕らえた小魚を食べているところとかは難しくてブレブレの写真しか取れませんでしたが
f:id:hms_ulysses:20160225162629j:plain
カワセミ、身近で見れる鳥としてはもっとも美しいものの一つだなあと思います。

この日はあとキンクロハジロとか

カワウが水辺に憩っていました。

三溪園、地形を巧みに活かして周りのエリアと隔絶した景観を作り出していて、そのため、現代でも、いわばディズニーリゾートのように、周囲の様子を意識せずに継承を楽しめる庭園になっているのが素晴らしかったです。横浜中心部から行くにはバスに揺られている時間長いところではありますが、その小旅行気分も含めてみなさんもぜひ何かの季節の折に!

*1:いま屋根に乗っている茅がどこのものかはわからないものの

*2:茅葺き屋根保存会 つくばキャンパスで茅刈りを実施 | KEK

*3:三溪記念館の説明パネルによる