梅まつりににぎわう偕楽園で陰陽のコントラストを見てきた
ひょんなことで茨城県に用務が出来たのでついでに足を伸ばしてきました、早春の偕楽園。今年*1は3月上旬が一番の梅の見頃のようです。そのちょっと前の週末の様子をば。
観梅というよりはお花見の雰囲気の偕楽園
梅祭りの期間中の特定日に上り線のみ停車する臨時駅、偕楽園駅で下車。水戸駅からバスや歩きでのアプローチでも無理はないようなんですが、臨時駅という響きに惹かれこちらを利用しました。
駅を降りるとすぐ側が、徳川光圀・徳川斉昭を祀る常磐神社。
彼ら藩侯がその隆盛に尽力した「水戸学」というものが明治維新の原動の一つとなり、また、御三家でありながら勤王を志すという立場でありながら、思想形成が早かったゆえに天狗党という早熟の暴発を引き起こして藩論が分裂、幕末期の歴史の流れに藩として関与できなかったという非常に複雑な背景があるわけですが、ともあれ、参拝客は引きも切らず……。その境内を西に向かって歩くと偕楽園の東門に着きます。
梅アイスと偕楽園東門。東門周辺には売店や茶屋などが何軒か並んでおりまして、梅アイスもその一軒の人気商品。もうこの辺は完全に花より団子といった雰囲気に満ちています。
梅の様子をちょっと見たその先、千波湖と偕楽園の拡張部である丸山周辺の梅林を見下ろせる芝生のエリアでは
みなさんこんな感じで、いささか春めいてきた日差しを浴びつつ完全にくつろぎの場となっておりました。園内には県内の名産品とか農産品、及びそれを活かしたお弁当などの売店が何軒も出ていてそれを買ってこんなふうにくつろぐのもひとつの楽しみ方っぽかったです。
芝生だけじゃなくて柵にもみなさんが。
高台でもひときわ南側に突き出した=仙奕台(せんえきだい)より、仙波湖と田鶴鳴梅林。なんでもかつてはここで碁や将棋が楽しまれたとか。
徳川斉昭公自ら設計の「好文亭」。古建築好きとしては入ってみたかったのですが、まあ写真の通りの人出なので、別の時期を選ぶのが賢明だろうと思ってパスしました……。
ここから梅林エリアに足を踏み入れていきます。
梅の他にも華がある
梅を見つつ、香りを楽しみつつ、写真を取りつつ歩いていると何やら人だかりが。その真ん中にいたのは
華やかな着物を着た「梅大使」の方々でした*2。
写真を撮らせていただいて歩きさり、ハッと思って振り返って後ろ姿を確かめると、帯も素敵な梅の意匠。
ちょっと早かった、白梅薫る梅林
だいたいこの日の梅林の雰囲気が出ているのがこの写真で、全体的な盛りというにはちょっとだけ早く、やや白梅のほうが目立つ状況。
紅梅はきれいに咲いているものもあれば
「遅咲き」と幹につけられたプレートに書いてあるものだと完全に蕾のままだったり。
この日一番美しく咲いていて観覧客の多くが足を止めていたのは「月影」という品種の若木でした。
青みがかった冴え冴えとした花の色がとても美しく、どうにかその良さを写真に収めたかったのですが、僕ではこれが精一杯……。
幹の風格、古い梅の木
園内、まっすぐに伸びる梅の木ばかりではなくて、長い年月を経て、あちらこちらに曲がったりしている梅の木、自力ではその形を支えきれなくなった梅の木などもありました。その形もまた、なかなかにユニークです。
アーチ状になった梅の木。
樹勢は衰えず花もなかなか艶やか。
軍艦のダメージコントロールを思い起こさせる支木。
六名木の一つ「白難波」もだいぶ補助が必要な感じになっていました。
年月を経て熱帯雨林の「絞め殺しの木」のように幹の真ん中が空いてしまった梅。これでも立派な花を咲かせているんだからすごいものですね。
「陰」の気を感じる、本当の入り口
梅園の端、偕楽園の西のはじにあるこのシックな黒門が本来の表門。
門の奥にある「一の木戸」をくぐれば、そこには昼なおくらいモウソウチクとスギの林が広がっています。
これは「陰」の世界を表しており、ここを抜けると高台と梅園からなる「陽」の世界たどり着く、というのが偕楽園の本来の造築意図であった、というのは黒門の脇にあった解説板による説明でした。
ゲームのセーブポイントか中ボス出現ポイントに見えますが、これは大理石による「吐玉泉」という……という……噴水、でいいのかなこれ。背後の崖に湧く水を枡に貯め吐き出させているものです。この水は好文亭での茶会で利用されていたほか、眼病に効くという伝承があるそうです。
手前は次郎杉と呼ばれた杉の巨木の名残。吐玉泉の周りにはかつて太郎杉〜五郎杉までの五本の杉の巨木が立ち並んでいたそうですが今は奥に見える太郎杉が残るのみ。